Kyoto Contemporary Art Network Exhibition 2015


連続の縺れ記憶の焼結




第一会場:遊狐草舎





第二会場:Inpact Hub Kyoto(虚白隠 内)


素材と知覚‐「もの派」の根源を求めて
Material and Perception: in search of the roots of Mono-ha

会期:2015年3月7(土)~3月22日(日)
Dates: Saturday, March 7 - Sunday, March 22, 2015

会期中無休
Open Everyday

開館時間:午前10時~午後5時
Opening Hours: 10:00-17:00

共通パス:1,000円
Passport: 1,000yen

監修:山本豊津
Direction: Hozu Yamamoto

企画:秋丸知貴
Curation: Tomoki Akimaru


第一会場:遊狐草舎(〒603-8206 京都市北区紫竹西南町17-3)
Venue 1: Yukososya (17-3 Shichikuseinan-cho, Kita-ku, Kyoto)

展示:斉藤義重/飯田昭二/高松次郎/鈴木慶則/河口龍夫/関根伸夫/大西伸明/入江早耶
Exhibition: Yoshishige Saito, Shoji Iida, Jiro Takamatsu, Yoshinori Suzuki, Tatsuo Kawaguchi, Nobuo Sekine, Nobuaki Onishi, Saya Irie


第二会場:Impact Hub Kyoto(虚白院 内)(〒602-0898 京都市上京区相国寺門前町682)
Venue 2: Impact Hub Kyoto (at Kyohakuin) (682 Shokokuji Monzen-cho, Kamigyo-ku, Kyoto)

展示:関根伸夫/榎倉康二/小清水漸/林武史/近藤髙弘/松井紫朗/大西宏志/大舩真言/神山貴彦/外林道子/池坊由紀
Exhibition: Nobuo Sekine, Koji Enokura, Susumu Koshimizu, Takeshi Hayashi, Takahiro Kondo, Shiro Matsui, Hiroshi Onishi, Makoto Ofune, Takahiko Kamiyama, Michiko Sotobayashi, Yuki Ikenobo


主催:現代京都藝苑実行委員会
Organized by Kyoto Contemporary Art Network Organizing Committee

協力:一般社団法人 Impact Hub Kyoto
Assisted by Impact Hub Kyoto

後援:PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015/琳派400年記念祭委員会
With the support of Parasophia: Kyoto International Festival of Contemporary Culture 2015, Rimpa 400 Year Celebration Festival Committee


【イベント情報】
■「素材と知覚」展 公開シンポジウム「『もの派』の根源を求めて」
 日時:2015年3月8日(日)10:00~12:00
 場所:京都市美術館本館 PARASOPHIA教室(Class room)(※無料・予約不要)
 基調講演①:「『幻触』と『もの派』について」
  本阿弥清(NPO法人環境芸術ネットワーク代表・元虹の美術館館長)
 基調講演②:「『素材と知覚』展について」
  秋丸知貴(美術史家・インディペンデントキュレーター/「素材と知覚」展企画者)
 総合討論
  山本豊津(東京画廊代表/「素材と知覚」展監修者)
 司会・進行:秋丸知貴

■「素材と知覚」展 オープニング・トーク
 日時:2015年3月8日(日)16:30~17:00
 場所:Impact Hub Kyoto(虚白院 内)(※無料・予約不要)
  山本豊津(東京画廊代表/「素材と知覚」展監修者)
  近藤髙弘(出品作家)
  大西宏志(出品作家)
  池坊由紀(出品作家) 他
  司会・進行:秋丸知貴(美術史家・インディペンデントキュレーター/「素材と知覚」展企画者)


【企画趣旨】
 日本人にとって、アートとは何か?
 本展は、2015年春に日本の伝統的な文化的中心地である京都で、二軒の京町家・虚白院と遊狐草舎を会場として現代日本美術のアクチュアルな一様相を国内外に紹介する。敢えてホワイトキューブではなく、どちらも築100年以上の和風の古民家で展覧会を行うことには、日本の伝統的な文化風土に基づきつつそれを活性化する新しいコンテンポラリー・アートのあり方を模索する意味合いを込めている。
 幕末明治以来、「アート」が「美術」と翻訳輸入されて既に一世紀半以上が経過した。その間、本来の文化的土壌の差異がもたらす様々な混乱と創造が繰り返されてきた。その上で、私達はやはり美を求めることは人間の普遍的本性の一つであり、たとえ元は外来文化であってもアートは既に私達の生活の一部であるという認識から出発したい。そして、今日の現代日本美術が単なる現代西洋美術の模倣に留まらない独自の歴史と価値を持つことを提示したいと考えている。
 本展のテーマは、「素材と知覚」である。この二つは、人間が世界に向き合う際の基本枠組である存在論と認識論に関わっている。つまり、相手はどのようなものであり、自分はそれをどのように捉えるかという問題である。本展では、こうした問題に対し特に鋭敏な感受性を示す作家の作品を展示する。
 ある意味で、アートは常にこの素材と知覚の問題を表象してきた。しかし、本展が特に注目するのが、この二つの問題に深く関わり、今日の現代日本美術にも多大な影響を与えている1970年前後の「もの派」である。つまり、いわゆる「もの派」は、1968年の第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展で関根伸夫が制作した《位相‐大地》に対し、李禹煥が提出した現象学的解釈に基づき、彼等に吉田克朗、小清水漸、成田克彦、菅木志雄、榎倉康二、高山登、原口典之等を含めた動向を示す芸術概念として理論化され歴史化されてきた。それにより、「もの派」が国際的に高く評価された功績は計り知れないほど大きい。しかし、ウンベルト・エーコが『開かれた作品』で説くように、優れた作品は多様な解釈を許容する。現在、「もの派」についても、従来の解釈に留まらない様々な作品理解や影響関係の考察が進んでいる。
 例えば、従来の「もの派」理解では、関根、吉田、小清水、成田、菅が多摩美術大学で学んだ斉藤義重の構成主義的抽象絵画の感化はあまり注目されてこなかった。また、彼等の先輩に当たる高松次郎、飯田昭二、鈴木慶則等のイリュージョン・アートとの関係はようやく着目され始めたところである。これらはいずれも、前世代の問題意識の批判的継承という観点からは極めて重要な意味を持っている。また、1987年に開催された『もの派とポストもの派の展開』展におけるいわゆる「ポストもの派」という分類以外にも、教師として榎倉が東京藝術大学で林武史等に与えた影響や、小清水が京都市立芸術大学で松井紫朗等に与えた影響も改めて再考される必要がある。そして、「素材と知覚」の問題を多様に表現する作家達(河口龍夫・大西伸明・神山貴彦・外林道子・入江早耶)や、「もの派」に内包されていた問題意識に新たな観点から光を当てようとする現代京都のモノ学・感覚価値研究会アート分科会の参加作家達(近藤髙弘・大西宏志・大舩真言)、そして日本の伝統文化である華道(池坊由紀)が、「もの派」とどのように呼応するかを考察することもまた非常に興味深い問題であろう。
 常に地に足を付けつつ、世界を新たな視点から自由に捉え直すこと――これが、「素材と知覚――『もの派』の根源を求めて」展が目指すものである。
      
秋丸 知貴



【第一会場:遊狐草舎】

撮影:田邊真理 Photo: Mari Tanabe













【作品解説】
 「もの派」と呼ばれているアーティストたちは、関根伸夫が1968年に制作した《位相‐大地》を起点として活動を始めました。
 いま、1968年から1972年の間に制作された彼らの作品が国際的に評価されています。
 その理由は、今回の現代京都藝苑2015のテーマである「日本的感受性」が40年以上も前に彼らの作品群を通して表現されていたからです。
 そこで「素材と知覚‐『もの派』の根源を求めて」展では展示を《位相‐大地》出現の以前と以後に分けながら、さらに近代以前から連綿と引き継がれている日本列島にすむ人々の感受性を鑑賞できるように構成しました。
 第一会場の遊狐草舎では、《位相‐大地》の契機となった「トリックス・アンド・ヴィジョン」展(1968年・東京画廊)を念頭に主として知覚(視覚)に焦点を当てた展示となっています。
 ヴィジョン(見ること)はトリック(錯覚)を伴うことから、見ることの行為を問う作品を集めました。
 以下に一つ一つの作品の解説を付記してこのディレクションの目的を述べます。      
山本 豊津


 

関根 伸夫 《空相 - 思ふツボ》
Sekine Nobuo Phase of Nothingness - Wishing Pot
1973 31 x 30 x 10 cm
黒御影石 Black granite
提供:東京画廊+BTAP/遊狐草舎

 壺のかたちにつくった石に文字を彫刻して、読む行為ともののかたちを結び文字を見ることを美術表現としたコンセプチュアルな作品です。


 

斎藤 義重 《反対称 対角線》
Yoshishige Saito Dissymmetry Diagonal
1976 35 x 25 cm
紙 paper
提供:東京画廊+BTAP/遊狐草舎

 黒い線が描かれた紙がめくれています。描くための支持体である紙つまり物質としての紙も見ていることになります。


 

鈴木 慶則 《裏がえしの相貌をした非在のタブロー》
Yoshinori Suzuki Nonexistent Tableu with an Appearance of the Reverse
1967 60 x 67.7 cm
油彩・キャンバス Oil, canvas
提供:東京画廊+BTAP/遊狐草舎

 絵画のイリュージョンは正面に立ち現れます。
 絵画の裏面を描きイリュージョンとすることで、絵画そのものをオブジェにしました。
 マグリットは絵画の手法で、すべてのものをオブジェ化しましたが、デュシャンは美術館に便器を置き絵画と並置して絵画をオブジェとしました。
 「物からオブジェへそしてものへ」この関係こそが私たちのテーマなのです。


 

入江 早耶 《ビジネスザウルス》
Saya Irie Business Saurus
2010 5 x 13 x 27 cm
ビジネスシューズ Business shoes
提供:東京画廊+BTAP/遊狐草舎

 私たち近代人の日常生活は石油製品にかこまれています。忙しく働くビジネスマンの靴底も石油からつくられたものです。
 入江は靴底に恐竜を彫刻して、石油のもともとの材料である太古の森林の記憶を見る人に呼びおこします。




大西 伸明 《denkyu》
Nobuaki Onishi denkyu
2013 15 x 6 cm
樹脂・金属・その他 Resin, metal, others
提供:MA2 Gallery/遊狐草舎

 無垢のアクリルで成型された電球を見つめると、周りの風景が逆さに写っています。風景のなかに異質な風景をまぎれこませ、空間に別の空間をつくり出しました。
 絵画も日常の空間に別の風景をまぎれこませることだからです。
 ちなみに、もの派の吉田克朗の電球の作品を思い出しました。


 

高松 次郎 《波の柱》
Jiro Takamatsu Pole of Wave
1969 115.5 x 9 x 9 cm
木 Carved wood
提供:東京画廊+BTAP/遊狐草舎

 見ている人の場所によって、柱が真っ直ぐだったり曲っていたり見えるため一つの柱が別物と化してしまう作品です。


 

飯田 昭二 《Half and Half》
Shoji Iida Half and Half
1967/2005 48.5 x 40.5 x 40.5 cm
鳥かご・球体・鏡 Bird cage, ball and mirror
提供:鎌倉画廊/遊狐草舎

 この作品も正面からと背面からでは中にある球の色が異なり、しかも対称性が解り易い箱板を選びながら鏡で敷居することによって錯覚をさせます。


 
         
河口 龍夫 《赤い球体と青い球体》
Tatsuo Kawaguchi Red Sphere and Blue Sphere
1968 31.1 x 16.8 x 22.9 cm
プラスター・ガラス・鏡・電球 Plaster, mirror, glass, fluorescent lamp
提供:東京画廊+BTAP/遊狐草舎

 一つの球が二つの空間の間にあり、赤と青に球を塗り分けることで空間の異質性を表現しています。人の在りかたは空間によって決められているのかも知れません。




【第二会場:Impact Hub Kyoto(虚白院 内)】
撮影:田邊真理 Photo: Mari Tanabe






















【作品解説】
 第一会場遊狐草舎は、鑑賞者が「日頃何を見ているのか」「見ることとは何か」など、忙しい日常のなかで日頃考えても見なかったことを考える展示構成にしました。
 第二会場Impact Hub Kyoto(虚白院内)は、もの派が後世に残した素材の問題をテーマに「素材となる物質」に対する「日本的感受性」に焦点をあてた展示としました。
 日本人は、すべての対象を「もの」「モノ」「物」と分け、人でさえ「者」と言い表しています。その呼称、表し方がこの列島から生じる文化の基礎となっています。
 もの派と呼ばれるムーブメントを、近代以前から現代まで歴史を辿ることで日本人とものの関係を考えてみたいと思います。
 観賞する人が一つ一つの作品に「もの」「モノ」「物」を見立てられる見所を以下に述べます。
山本 豊津



池坊 由紀 花型《立花》
Yuki Ikenobou
2015年

 近代以前から続く表現では、生きた草木花を素材とする生け花が世界を見渡しても特徴的です。
 この立華(江戸時代に確立された花飾りの様式)では枯れた木を主として使いむしろ生きた花を少なくして現代のインスタレーションに近づけました。
 近代美術のアーティストは死んだ素材を使い生きた素材を使いませんでしたがもの派は水を使い生け花に近づく表現をこころみています。




近藤 髙弘 《火水》
Takahiro Kondo KA・MI
2014年~2015年

 わらを高温度で焼成した作品とほとばしる水をイメージさせるガラスの作品です。陶を主に扱う彼は陶を形づくる素材を土、水、火と分けその意味を問う作品を発表しています。




関根 伸夫 《花の門》
Sekine Nobuo Flower gate
2009年 67.5 x 64 x 31 cm
油土、髑木 Oil clay, dry tree
提供:REVIF/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 代表作となった位相大地は土だけで制作しました。
 この作品は油土と枯れた木を素材とし生け花を意識してつくられています。
 1960年代に池坊で生け花を習った経験があると聞き、もの派を日本人の歴史的表現方法につながらないかと考えた次第です。
 位相大地が他のアーティストに与えた影響は多大で、47年の歳月を越えて現代のアーティストに素材の問題を投げかけています。




大舩 真言 《WAVE#97》
Makoto Ofune WAVE#97
2014年

 茶室の窓から、廊下に掛けられた絵画を見ながら背後の竹林へと三重の組立てになっています。
 イリュージョンである絵画が「物」と化して背景を塞いでいるため作品が現象となった。




大舩 真言 《Reflection field》
Makoto Ofune Reflection field
2015年

 廊下の脇に置かれた桜石の作品は石の一部をカットして支持体とし絵画を描いています。絵画とはこの世に平面を作ることだということです。




外林 道子 《體と臟 7》
Michiko Sotobayashi Body and Organs 7
2013年 70.3 x 66.5 cm
中国画仙紙、色彩墨、墨 Sumi and cinnabar ink on chinese paper
提供:東京画廊+BTAP Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 東洋には古代から書の表現があります。近代では我が国に前衛書が生まれました。この作品は、筆に赤と黒の墨をふくませ一回で書かれています。
 形のなかで変化した墨が自然性を表わす素材のあり方を表しています。体は形で臓が変化です。




近藤 髙弘 《Reduction Reduction》
Takahiro Kondo Reduction Reduction
2015年

 陶の作品です。外林の書に向いた人体ですが正面にまわると顔も内臓もありません。「人体は器である」と、器を作り続けてきた陶の仕事を批評しています。









神山 貴彦 《Untitled Untitled》
Takahiko Kamiyama Untitled Untitled
2015年 10.3 x 93 x 40.5 cm
合板、粘土、鉄 Plywood, clay, steel
提供:児玉画廊/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

神山 貴彦 《アディへ》
Takahiko Kamiyama Dear Addy
2015年 92 x 37 x 16 cm
ナイロンパーカー、MDFボード Nylon parka, MDF board
提供:児玉画廊/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 出品者では最年少の25歳です。
 南画の画院であった空間に展示されると、彼の作品の若々しさが引き立ちます。
 素材は扱うアーティストのキャリアによっていかようにも変化します。
 彼のセンスは、床に置いた絵具の痕跡を使って周囲の絵画を蘇らせたことで分かります。




小清水 漸 《水の匣》
Susumu Koshimizu Water chest
1997年 103.5 x 45 x 45 cm
松、栃、水 Pine tree, horse chestnut, water
提供:東京画廊+BTAP/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 もの派のアーティストは絵画出身者が多いが、唯一の彫刻出身です。木の箱は器であり、上に彫刻した葉のような形にも水を注いで器としています。
 不定形な水を素材にすると作品が器となることで工芸と彫刻をつなげる作品です。小清水の作品がもの派から演繹されていることが伺えます。




松井 紫朗 《ENTERRING-Kingyo Table Station》
Shiro Matsui ENTERRING-Kingyo Table Station
2013年 100 x 149 x 100 cm
木、陶器 wood, ceramic
提供:東京画廊+BTAP/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 小清水が京都市立芸術大学へ赴任したときの教え子なので「もの派」的なる表現を継承しています。生き物の金魚を作品の一部とすることでもの派を越え生け花にも通じ結局私たち人間の一部になってしまう印象を与えました。




林 武史 《草枕》
Takeshi Hayashi Kusamakura
2014年 55 x 74 x 49 cm
大理石 Marble
提供:東京画廊+BTAP/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 不変な石を素材としていますが、白い大理石を滑らかに仕上げたために石も数万年の時間で流動していると思わせます。
 地球は人も合わせて生きた素材なのです。
 もの派の榎倉康二に深く影響を受けています。




榎倉 康二 《一つのしみ No.7 (Ed.3/20)》
Koji Enokura A stain No.7 (Ed.3/20)
1980年 74.5 x 107.5 cm
紙、オイル Paper, oil
提供:東京画廊+BTAP/Impact Hub Kyoto(虚白院 内)

 物質がこの世に存在する性質に拘ったもの派のアーティストです。
 布や紙に油を染みさせイメージをつくりますが、常にものの性質だけに表現をしぼっています。
 アーティストはかたちは描かず、自然に生じた残像を作品にしています。
 一時植物そのものを作品に入れたことがこの展覧会で思い出されました。




近藤 髙弘 《Reduction Reduction》
Takahiro Kondo Reduction Reduction
2014年





大西 宏志 《素材と知覚 Kissing》
Hiroshi Onishi Material and Perception: Kissing
2015年







大西 宏志 《素材と知覚 Kissing》
Hiroshi Onishi Material and Perception: Kissing
2015年

 唯一の映像アーティストです。映像の素材は光です。
 光は波動か粒子か議論がかまびすしいところですが、やはり素材であることを障子戸を使って表わしています。
 映写された対象物によって変化し、映写の内容でエロティックな物質感をも表現できることを示しています。とても触覚的です。


 さていかがでしたか?
 遊狐草舎や虚白院のような民家で作品を鑑賞していると、作品の素材と建築物の素材が入り交じり、いつのまにか「見ること」だけでなくそこにあるすべての素材を「体験している」自分を発見します。
 素材と知覚は、育った環境によって様々な感受性を人々に与えます。日本人の感受性は加工されつくしたものより自然に近いものを身体全体で体験して養われます。
 自然と距離を隔てることで美意識は生まれますが、これからは美と自然を自覚的に考えることこそ日本人の今後の課題だと思います。




(C) Kyoto Contemporary Art Network Organizing Committee


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